

最近、ある企業の外国籍社員10数人にヒアリングする機会がありました。
彼らの多くは、中国、韓国やベトナムなどから日本の大学に留学、
卒業後に入社してきた20代から30代の人たちです。
日本語はビジネスレベルであるとの条件で採用され、
いわゆる<総合職>として日本人学生といっしょに採用され、
生産、営業や研究所などの職場で働いています。
職場では日本人同等のコミュニケーションが求められます。
しかし、ヒアリングの結果では、
「話したり読んだりするのはOKだが日本語でレポートを書くのは時間がかかる」
「先輩や上司はすごく忙しく、質問すると「今なぜそれを聞くの」と。
わからないから聞いたのに…」
「上司から指示された方法について質問をしても
理由は教えてもらえずとにかくそのとおりにやってくれと言われた」
また「人事評価で日本人と比較されたら日本人のほうが有利だと想像する」
などの悩みや不安の声も聞かれました。
彼らの上司たちにも話を聴いてみました。
すると「特別扱いはしていない。他の日本人と公平に評価している」
「語学力に期待している」
あるいは「日本人の同世代に刺激になればいい」との考え方や期待が聞かれました。
外国籍の彼らが日々社内で奮闘している姿には一種の感動を覚えましたが、
その会社の外国籍社員数は全体の1%未満です。
また、入社後数年以内に退職してしまう外国籍者は
日本人社員に比べると率がかなり高いようです。
果たして彼らの悩みや疑問に上司や会社は
どれだけ関心を払っているのかちょっと気になりました。
言い方は乱暴かもしれませんが、「ついて来られる人だけついてくればいい」
「会社のやり方に従ってもらうことが重要」という
受け入れ側の“論理”が見え隠れしたようにも感じられました。
グローバルタレントデベロップメント協議会の小山健太・東京経済大学准教授によると、
外国籍者が日本社会でその価値を最大限に発揮していくためには、
①自分たちの文化が一番正統・正当であると押し付ける(文化帝国主義)
②主たる文化・多数派によって端に追いやられてしまう(周縁化)
③周縁化により無力感に至ってしまう(無力感)
という流れに陥らないようにすることが大事、と言われています。
アメリカのような多民族国家では
さまざまな文化的背景を持つ人々が混じりあって仕事、生活をしています。
職場では自由闊達な意見が求められ、頓珍漢なことを言っても許容される雰囲気があります。
ときには摩擦も起こりますが、突飛な発想や技術革新によって世界をリードする
イノベーションや未知のビジネスが生まれています。
日本ではコンビニやファミレス等で日本人に遜色なく活躍している外国人を見かけますが、
日本人の代替?つまり彼らを単なる労働力としか見ていないようにも思われます。
これからは、外国人材に限りませんが、多様な背景を持つ人々の違いや個性により着目し、
それらを活かすことをもっと考える。
そして、協働しながら新たな発想に思いをいたす。
このような延長線上でイノーベーションを起こしてけたらなんと素敵なことなんでしょう。
でもそのためには、悪しき“公平感”に問われない配慮、仕掛けなどが求められるようです。
ただでさえ「同調圧力」「横並び安心感」に苛まれている日本社会ですから…。
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